2017年06月28日水曜日

週に1回、精神科に通っている。

病院を転々としたが、精神科自体には通い始めて5年が経つ。

信じられない量の薬を処方される。それでも良くなることは一向に無いが、親も配偶者もいない身としてはほんの10分に満たない診療時間とは言え話し相手が存在することは多少心の拠り所になっている。現在通院している病院の受付の人たちや薬剤師さんは何度か変わっているものの、週に1回も通い続けていれば顔を見られただけで受付が済む。顔パスである。いいのか、ここがクソ田舎であるとは言え、仮にも病院だぞ。

先述の通り、私には親も配偶者もいない。1人身である。この時点で世の中の人間が抱える諸問題や悩みの種とはほとんど無縁であるから、何故心を病んでいるのかと思われそうなものである。

原因はいくつも考えられる。当然の如くいじめられてきたし、心を許せたと思った人間には絶交されてきたし。ある日突然面と向かって「お前なんか嫌いだ」と言われたときには頭が真っ白になって何も言えず机に突っ伏してその日1日泣いた。

しかし諸悪の根源は、幼少期よりの虐待である。正直、虐待されていたと自ら思えるようになるまで膨大な時間がかかった。毒親とは言え、親は親なのである。小さい頃から内向的で1人遊びが好きだから現在同様友達などほとんどいなかった。核家族だったこともあり、心を許せる相手は親しかいなかった。しかし、その親は殴ったり首をしめたり食器に始まり椅子やら何やらを私にぶん投げてきたり、とにかくやんちゃだった。陳腐な言い方ではあるが、人格を否定する言葉の暴力も当然あった。親のどちらかが味方をしてくれたら、それだけでも救われるというものである。しかし、我が偉大なる両親は双方ともに私に暴力をふるい続けた。

子供なんて我儘を言ってなんぼである。幼稚園児から中学生まで抱える塾で働いたことがあるが、言うことを素直に聞く子供なんて1人か2人か、その他は寝るわ遊ぶわ喋るわで勉強なんて全くしてくれなかった。私自身、親にひどいことをされてきたから、そんな子供たちにきついことを言うことなんてできなかった。だから、塾長に見放されていて1年で自主的に辞めた。

あえて言うなら、良い思い出としては、「先生は声が低いけど優しいから好き」「私も」と小学生の女の子たちに言われたときには感極まってしまった。子供は正直である。てか、声が低いのは関係ないだろ。生まれつきそういう声なんだよ。

幼稚園児の女の子は、大変厳しい親の元に生まれて、その反動か塾ではやりたい放題であった。ディズニーのお姫様たちが大好きで、その話を延々としていた。たまに抱き着いてきたりおぶさってきたり、可愛いものであった。しかしそんな彼女も、親が迎えに来ると途端にシュンとなって、教室にも関わらず怒鳴り散らす母親にビクビクしながら、それまで見向きもしなかったプリントに半泣きで向き合う姿には涙がちょちょ切れそうになった。小学校受験すると言っていた彼女は今どうしているのだろうか。知る由もない。

話が逸れた。

うーん、何の話をしていたのか分からなくなってしまった。これだから頭が悪いのは困る。精神科でもいつもそうだ。話に脈略というものが存在しない。あっちに行ったりこっちに行ったりはたまた戻ってきたりする。

まぁ、ここまで書けば、何故突然ブログを始めたのかお察しいただけるだろう。

話し相手がいないのである。

親はいなくなってくれて良かったし、友達がいなくて寂しいとは思うもののいたらいたでどうでもいいことを考えて気に病むんだろうなと思うし、孤高の身であることは私の心には何よりもぴったりの薬である。だが、コンビニの店員や主治医、バイト先の客としか事務的とは言え言葉を交わさないのはしんどいものがある。10年ほどTwitterを続けていたが、仲良くなったと思ったネット友達がある日を境にゴチャゴチャと言ってくるようになって、面倒になって辞めてしまった。

そういうことである。

疲れてきたのでここで止めにする。

 

以上