2017年07月26日水曜日

結局こうだ。

28日前に投稿した記事を見て思った。

病状は良くなるどころか悪化したようで、先日リストカットでは収まらず首をカミソリで切った。やってみると案外首というのは切りづらくて、頸動脈をぶった切ってやろうと思っていたのに今も生きている。お陰様で夏だというのに首元が隠れる服しか着られなくなった。しまいこんだ冬服を引っ張り出して今年の夏も暑くなるなと思った。

そんな私を見てか主治医から某大学の附属病院の精神科へ行くよう促されて、先日初めて行ってきた。待ち、診察、心電図や採血などを含めて2時間もかかった。待っている間に知らないヨボヨボの爺さんに心配されたり、手錠と胴輪をはめられて警察らしき男に車椅子を押されている項垂れた明らかにやばそうな女を見たり、世界が違うと思った。薬を注射されるという話だったが、注射はされず、代わりに新しい薬をもらった。高かった。

精神科通院というのも度が過ぎれば嗜好品と然程変わらない気がする。そりゃ薬がよく効いて、社会復帰の見込みも立って、そうしたらさっさとおさらばしちゃえばいい話だが、そうではない人間だっている。通院を続けても薬を飲み続けても全く改善の余地が無かったら、精神科じゃあどうしようもないってことじゃあないのかね。5年以上精神科と仲良しこよしもとい飼い慣らされている私が言えたことじゃあないが。

処方された新しい薬のせいか知らないが、病院で椅子に座っていたら眩暈と吐き気がして、トイレへ行こうとフラフラ歩き出したらぶっ倒れてしまった。情けないことこの上ない。どうせなら車道かどっかで倒れたかった。頭を轢かれて即死。南無。

その一方で、エレキギターを購入した。古株の赤いエレキベースに対して今回は黒にしてみた。音を出しているだけでも何となく楽しいので暫くの気晴らしになりそうだ。

2017年06月28日水曜日

週に1回、精神科に通っている。

病院を転々としたが、精神科自体には通い始めて5年が経つ。

信じられない量の薬を処方される。それでも良くなることは一向に無いが、親も配偶者もいない身としてはほんの10分に満たない診療時間とは言え話し相手が存在することは多少心の拠り所になっている。現在通院している病院の受付の人たちや薬剤師さんは何度か変わっているものの、週に1回も通い続けていれば顔を見られただけで受付が済む。顔パスである。いいのか、ここがクソ田舎であるとは言え、仮にも病院だぞ。

先述の通り、私には親も配偶者もいない。1人身である。この時点で世の中の人間が抱える諸問題や悩みの種とはほとんど無縁であるから、何故心を病んでいるのかと思われそうなものである。

原因はいくつも考えられる。当然の如くいじめられてきたし、心を許せたと思った人間には絶交されてきたし。ある日突然面と向かって「お前なんか嫌いだ」と言われたときには頭が真っ白になって何も言えず机に突っ伏してその日1日泣いた。

しかし諸悪の根源は、幼少期よりの虐待である。正直、虐待されていたと自ら思えるようになるまで膨大な時間がかかった。毒親とは言え、親は親なのである。小さい頃から内向的で1人遊びが好きだから現在同様友達などほとんどいなかった。核家族だったこともあり、心を許せる相手は親しかいなかった。しかし、その親は殴ったり首をしめたり食器に始まり椅子やら何やらを私にぶん投げてきたり、とにかくやんちゃだった。陳腐な言い方ではあるが、人格を否定する言葉の暴力も当然あった。親のどちらかが味方をしてくれたら、それだけでも救われるというものである。しかし、我が偉大なる両親は双方ともに私に暴力をふるい続けた。

子供なんて我儘を言ってなんぼである。幼稚園児から中学生まで抱える塾で働いたことがあるが、言うことを素直に聞く子供なんて1人か2人か、その他は寝るわ遊ぶわ喋るわで勉強なんて全くしてくれなかった。私自身、親にひどいことをされてきたから、そんな子供たちにきついことを言うことなんてできなかった。だから、塾長に見放されていて1年で自主的に辞めた。

あえて言うなら、良い思い出としては、「先生は声が低いけど優しいから好き」「私も」と小学生の女の子たちに言われたときには感極まってしまった。子供は正直である。てか、声が低いのは関係ないだろ。生まれつきそういう声なんだよ。

幼稚園児の女の子は、大変厳しい親の元に生まれて、その反動か塾ではやりたい放題であった。ディズニーのお姫様たちが大好きで、その話を延々としていた。たまに抱き着いてきたりおぶさってきたり、可愛いものであった。しかしそんな彼女も、親が迎えに来ると途端にシュンとなって、教室にも関わらず怒鳴り散らす母親にビクビクしながら、それまで見向きもしなかったプリントに半泣きで向き合う姿には涙がちょちょ切れそうになった。小学校受験すると言っていた彼女は今どうしているのだろうか。知る由もない。

話が逸れた。

うーん、何の話をしていたのか分からなくなってしまった。これだから頭が悪いのは困る。精神科でもいつもそうだ。話に脈略というものが存在しない。あっちに行ったりこっちに行ったりはたまた戻ってきたりする。

まぁ、ここまで書けば、何故突然ブログを始めたのかお察しいただけるだろう。

話し相手がいないのである。

親はいなくなってくれて良かったし、友達がいなくて寂しいとは思うもののいたらいたでどうでもいいことを考えて気に病むんだろうなと思うし、孤高の身であることは私の心には何よりもぴったりの薬である。だが、コンビニの店員や主治医、バイト先の客としか事務的とは言え言葉を交わさないのはしんどいものがある。10年ほどTwitterを続けていたが、仲良くなったと思ったネット友達がある日を境にゴチャゴチャと言ってくるようになって、面倒になって辞めてしまった。

そういうことである。

疲れてきたのでここで止めにする。

 

以上

2017年06月26日月曜日

2015年9月にこのブログを作って、それ以来一切はてなブログを訪れることはなかった。というか、すっかり忘れていた。

聡明な私のパソコン君は、その所有者とは異なりログインIDとパスワードをしっかりと覚えていて有能っぷりを遺憾なく発揮した。

ご苦労なこった。

今日はお昼にしゃぶしゃぶ食べ放題に行った。1人で。

肉12皿をペロリと平らげたところで、客や店員の視線が刺さることにようやく気付きそそくさと退散した。何だよ何だよ、1人でしゃぶしゃぶを食ってちゃ悪いのかよ。次は1人寿司か、あるいは1人焼肉か。ぼっちとも言う。

家を出る際に愛すべき隣人の女の子と鉢合わせそうになった。ビビりの私が忍者もびっくりの俊敏な動作で玄関のドアを閉めたので事なきを得た。目が合ったら殺されるに違いない。なんせ、ドラムか何かと勘違いしたのか壁を連打したり、わざわざ窓を開けてから号泣したり、皿を割って絶叫したり、とにかく賑やかな女の子なのだ。一時期は引っ越そうかと本気で考えたけれど、安くて良い物件がないことと最近は落ち着いている様子なのとで諦めに近い安心感を得ている。

2月に始めたバイトは、最低でも半年は続けるという契約になっている。この半年という縛りのせいでというかおかげというか、未だに続けられている。いや、続けさせていただいている。しかし、先日客にお釣りを渡し損ねたというしくじりをやらかして以来、フロントに入れてもらえなくなってしまった。私の代わりにあとから入った大学生の男の人がフロント業務をしているようだ。ようだ、というのも、2階からじゃフロントに誰がいるのかなんてエスパーでもない限り把握できない。何というか、皆さん優秀で困ってしまう。ポンコツ中のポンコツ、プロのポンコツポンコツマスターたる私としては、ポンコツフレンドがいないと心の安寧が保たれない。などと言って開き直っているからいけないのだろうか。勤務中に泣きそうになるこの私が開き直っているだと。なめんなよ。

しかしまぁ、皆さんよく頑張るよな。その調子でせいぜい頑張ってくれ。私はもうだめだ。自殺することばかり考えている。どうやって死んでやろうか。

今日はこのあたりで終わりにしておく。次回はいつになることやら、或いは明日か。

 

以上